2019年1月 のアーカイブ

垣内基良県議 県政報告会及び新春の集い、伊那市議会議員白鳥敏明先生後援会新年総会、箕輪町自衛隊協力会新年会、牧野光朗飯田市長後援会新年会、新春 佐々木祥二県議と県政を語る会に出席しました

2019年1月27日 日曜日

1月27日は、午前11時から箕輪町で開催された「垣内基良県議 県政報告会及び新春の集い」に出席しました。

冒頭に、後援会として、垣内県議に対し、4月の統一地方選挙に引き続き出馬頂くことを要請することが満場一致で了承されました。

私からも、上伊那の発展の原動力として、垣内先生にさらにご活躍いただけるよう、後援会の皆様に一層のご支援をお願いしてご挨拶を申し上げました。

また、小松裕先生も駆けつけ、ご盛会のお祝いと夏に向けてのご自身の決意のご挨拶をされました。

垣内先生はご挨拶の中で正式に統一地方選挙への出馬を表明され、力強い決意の言葉がありました。


午後1時半からは、伊那市議会議員白鳥敏明先生の後援会「明和会」の新年総会及び新年会に出席しました。

私からは、白鳥先生に伊那市後援会美篶支部の会長としてお世話になっていることをご紹介するとともに、白鳥先生が地域の課題について政策提言を行うなど、素晴らしい活躍されていることを踏まえ、後援会の皆様に、白鳥敏明先生を応援する輪をさらに広げて頂くことをお願いして、ご挨拶を申し上げました。


午後3時からは、「箕輪町自衛隊協力会新年会」に出席しました。

私からは、伊那谷において最も活発な活動をされている箕輪町自衛隊協力会の皆様に敬意を表するとともに、国として、宇宙・サイバー・電磁波などの新たな脅威に対応するための予算確保を行なっていることをご報告し、命をかけて活動されている自衛隊の皆様の存在を憲法に明記することが必要であることを申し上げ、皆様のお力添えをお願いしてご挨拶を申し上げました。


午後4時半からは、牧野光朗飯田市長の後援会新年会に遅れて出席しました。

私からは、牧野市長が交流・関係人口の増加や地域産業の発展のためにご尽力頂いている他、政府の経済財政諮問会議の専門委員や全国市長会副会長など、様々な立場でご活躍を頂いていることに敬意を評し、後援会の皆様の一層のバックアップをお願いして、お祝いのご挨拶を申し上げました。


午後6時15分からは、駒ヶ根市で開催された「新春 佐々木祥二県議と県政を語る会」に遅れて出席しました。

私からは、佐々木先生が常に学び、常に行動し、常に情報発信をされていることに敬意を表するとともに、当地域の発展の為に、今後益々の佐々木先生のご活躍が必要であることを申し上げ、4月の統一地方選挙に向けて、後援会の皆様の輪をさらに広げていただくことをお願いしてご挨拶を申し上げました。


(垣内基良県政報告会&新春の集いで、お祝いを述べているところです。)


(小松裕先生からも力強いご挨拶がありました。)


(長野県議会議員垣内基良先生の県政報告の様子です。)


(白鳥敏明後援会(明和家)総会・新年会で、白鳥敏明先生からご挨拶を頂いているところです。)


(私からは、ご盛会のお祝いと白鳥先生並びに後援会の皆様の益々のご活躍をお祈りし、ご挨拶を申し上げました。)


(箕輪町自衛隊協力会の市川治實会長からのご挨拶です。)


(私からお祝いのご挨拶を申し上げているところです。)


(牧野光朗飯田市長の後援会新年会でお祝いのご挨拶を申し上げているところです。)


(新春佐々木祥二と県政を語る会で、ご挨拶を申し上げているところです。)


(長野県議会議員佐々木祥二先生のご挨拶の様子です。)

駒ケ根市地域交流センター安全祈願祭・起工式に出席、伊那市の株式会社AICを訪問、上伊那後援会新年会開催、上伊那歯科技工士会新年祝賀会に出席

2019年1月26日 土曜日

1月26日は、午後1時から「駒ケ根市地域交流センター(赤穂公民館)等建設工事 安全祈願祭・起工式」に出席しました。

安全祈願祭では、鍬入れの儀と玉串奉奠を行い、起工式では、お祝いのご挨拶を申し上げました。

このセンターは、「赤穂公民館」と児童発達支援施設「つくし園」を合築し、駒ケ根市総合文化センターの北側に隣接して建設されます。コンサートが出来るホールも作られ、皆が集う場所として、地域活性化の拠点となることが期待されます。

センターの概要については、パンフレットをご参照ください。


午後2時半には、ベトナム人技術者、高度人材外国人のコンサルタントをされている伊那市の株式会社AICを訪問し、小林克規社長にお話を伺いました。

小林社長は、昨日訪問した豊丘村の株式会社エムケーセラにベトナム人技術者お二人を紹介し、入社に結び付けた方です。

90年代から、日系ブラジル人の就職支援を行い、約3万人の方を日本の製造業に紹介した実績を持ち、その経験を活かして、平成27年からベトナム人材のコンサルタントをされているとのこと。

現在紹介をされているのは、高度専門職として入国される方々ですが、現在の技能実習制度や、新たに始まる特定技能制度においても、最大の課題は日本語の習得と、受け入れる日本側企業や登録支援機関、そして地域の体制整備だとのお話を伺いました。

現在、AICはベトナムに日本語学校を開設し、日本人スタッフも常駐して教育にあたっているそうですが、一日6時間から8時間、8か月程度の勉強をしないとN4には合格できないとのこと。

日本における日本語教育は、ボランティア団体に頼っている状態ですが、その充実が急務であること、地方の方が、温かな支援体制を組める可能性もあり、そのことにより、都会への外国人材の集中が是正できる可能性があるとのアドバイスも伺いました。

実体験に基づく貴重なご意見をお聞かせくださった小林社長に感謝申し上げます。


午後5時からは、上伊那地区「宮下一郎後援会 新年祝賀会」を開催しました。

私から、近況報告を兼ねたご挨拶を申し上げるとともに、選挙の年である本年、統一地方選挙と参議院議員選挙勝利にむけた決意を述べ、小松裕先生のご紹介をしました。

小松裕先生からは、幼稚園と小学校時代を伊那市で過ごした頃のお話があり、故郷伊那谷のためにも全力で頑張るとの力強いご挨拶を頂きました。

参議院議員宮島喜文先生をはじめとする多くの皆様から来賓挨拶を頂き、長野県議会議員佐々木祥二先生の音頭で乾杯が行われました。

懇親の時間には、多くの皆様に小松裕先生をご紹介するとともに、本年益々のご支援をお願いして各テーブルを回りました。


午後7時前からは、「上伊那歯科技工士会 平成31年新年祝賀会」に遅れて出席しました。

私からは、「歯科技工士に関する制度推進議員連盟」での活動をご報告するとともに、本年2月に封切られる歯科技工士の青年を主人公とする映画「笑顔の向こうに」を通じて、歯科技工士という職業や先生方の活躍を多くの若い世代の皆さんに知っていただくことを期待しています、との趣旨でご挨拶を申し上げました。

その後の懇親の時間には、先生方と様々な話題に花が咲き、とても楽しく充実した祝賀会でした。


(駒ケ根市地域交流センター(赤穂公民館)等建設工事安全祈願祭での鍬入れ式の際の記念写真です。)


(玉串奉奠を行っているところです。)


(起工式でお祝いのご挨拶を申し上げているところです。)


(株式会社AICの小林克規社長と、ベトナムで使われている日本語の教科書を持って記念撮影をしました。)


(上伊那地区宮下一郎後援会新年祝賀会でご挨拶を申し上げているところです。)


(小松裕先生からは、熱意溢れるご挨拶を頂きました。)


(参議院議員宮島喜文先生のご挨拶です。)


(会の最後に、地域の発展を願って全員で万歳を行いました。)


(上伊那歯科技工士会新年祝賀会でお祝いのご挨拶を申し上げているところです。)


(会の最後に、組閣時の記念撮影風に、全員での記念写真を撮りました。)

伊那市役所、豊丘村役場、株式会社エムケーセラ、飯田市役所を訪問、自動車整備振興会伊那支部新年会に出席しました

2019年1月25日 金曜日

1月25日は、午前中に伊那市役所を訪問し、社会福祉課の久保田玲課長、市民課の北原秀志課長、教育委員会学校教育課の吉田浩之課長などから、外国人材の受入れや共生についての施策について、お話を伺いました。

伊那市内に住む外国人の方は、ブラジル人が約7割、フィリピン人が約2割であり、外国人相談窓口にはポルトガル語の通訳の方がいること、日本語教育は、ボランティア団体の活動が中心であること、伊那東小学校、伊那北小学校、東部中学校にはポルトガル語が話せる日本語講師が日本語の指導をしていること、ごみの分別については、多言語対応のスマホアプリ「さんあーる」を紹介していることなど、具体的なお話を伺うことが出来ました。


午後には、豊丘村役場を訪問し、下平喜隆村長から、「道の駅 南信州とよおかマルシェ」が全国で初めて税制の特例措置が受けられる「小さな拠点税制」に認定されたことや、道の駅を中心とした地域活性化の計画についてのお話を伺いました。


引き続き、豊丘村の株式会社エムケーセラを訪問し、松田学社長にお話を伺いました。

エムケーセラは、セラミックス部品や精密金属部品の加工をされており、ベトナムにある合弁会社でも生産を行っておられます。

海外展開の強化も見据えて、今年1月に、昨年大学を卒業した若いベトナム人技術者の方2人を高度専門職として本社で採用されました。

昨年12月には、松田社長が講師となり、社員の方を集めて、ベトナムの概要や歴史、入社する2人の趣味や大学での専攻などを紹介する勉強会を開催、その様子が新聞各紙やテレビでも紹介されました。

お二人は、ベトナムで半年間日本語を勉強してこられたそうで、将来はベトナムで起業したいという夢ももっているとのこと。日本での活躍を期待したいと思います。


次に、飯田市役所を訪問し、市民協働環境部男女共同参画課の土屋美那課長と林みどり多文化共生係長にお話を伺いました。

飯田市内に住む外国人の方は、中国人が45%、フィリピン人が22%、ブラジル人が17%であること、飯田市多文化共生社会推進計画をつくり、市役所の各窓口に、合計30人の多文化共生社会推進庁内委員がいること、日本語教育は3つの団体が行っていること、外国語相談窓口では、中国語、ポルトガル語、タガログ語・英語の担当者が週に2回から4回窓口を開け、年間約600件の相談を受けていること、学校での授業通訳として、ポルトガル語2人、英語・タガログ語1人、中国語2人が各学校を回っていること、小学校6校と中学校1校に日本語教室を設置していること、それは行政サービスとして市の単独事業として実施していること、飯田市内に2つの技能実習生向けの研修を行っている会社があり、1か月程度の研修の後、全国の実習に向かっていること、などのお話を伺いました。

また、外国人材の受け入れに関しては、地域社会・地域住民の受け入れる心の準備が出来ていないことが課題ではないか、とのお話も頂きました。

飯田市も加盟している外国人集住都市会議は、昨年11月には、政府に対して意見書も出されています。こうしたご意見も踏まえて、共生のための環境整備に取り組まなければならないと感じました。


午後6時半からは、伊那市で開催された「長野県自動車振興会伊那支部新年会」に出席しました。

林喜之支部長のご挨拶に引き続き、私からもお祝いのご挨拶をさせて頂き、平成31年税制改正における、消費税の引き上げを踏まえた自動車税の大幅な減税や環境性能割課税の減免などについてお話するとともに、市民活動や事業活動の基盤を支えて下さっている皆様の益々のご活躍をお願いしました。

懇親会の時間には、皆様から、自動車好きの若者が減り、「自動車は動けばよい」という人が多くなっていること、自動車整備を学ぶ若者が減っていること、自動車のコンピューター化がブラックボックス化につながりかねない状況になっていること、つねに研修などで新たな技術を習得することが大切であることなど、様々なお話をお聞きすることが出来ました。


(左から伊那市社会福祉課の久保田玲課長、市民課の北原秀志課長、私です。)


(豊丘村役場で、下平喜隆村長(右)をはじめとする皆様がお話を伺いました。)


(株式会社エムケーセラの松田学社長との記念写真です。)


(ファインセラミックスをダイヤモンドで削って作られた様々な部品を見せて頂きました。)


(右から、飯田市市民協働環境部男女共同参画課の土屋美那課長、林みどり多文化共生係長、私です。)


(長野県自動車振興会伊那支部新年会で林喜之支部長がご挨拶をされているところです。)


(私からお祝いのご挨拶を申し上げているところです。)

伊南倫理法人会モーニングセミナーで講話、三峰川沿岸土地改良区連合新年会、伊南倫理法人会賀詞交歓会に出席しました

2019年1月24日 木曜日

1月24日は、午前6時から「長野県伊南倫理法人会 経営者モーニングセミナー」に出席しました。

本日は、細江友子会長のご挨拶に引き続き、私から「伊那谷から日本を元気に」と題した講話をさせて頂きました。

特に、伊那谷発展の可能性について触れ、倫理法人会の皆様の活躍がその原動力であることをお話しました。


午後5時半からは、「三峰川沿岸土地改良区連合新年会」に出席しました。

私からは、国土強靭化を含めた土地改良関係予算増額の状況や通常国会提出法案などについてお話をするとともに、これからの農業発展に必要なスマート農業の基盤でもある土地改良事業の推進に向け、皆様の一層のご活躍を祈念してお祝いのご挨拶を申し上げました。


午後6時半前からは、「長野県伊南倫理法人会 賀詞交歓会」に出席しました。

私からは、モーニングセミナーでのお話を踏まえ、伊南倫理法人会の益々の発展を祈念してご挨拶を申し上げました。

出席者全員がスピーチを行った後に、アトラクションとして、私がマジックを披露しました。

多くの皆様と交流が出来、とても楽しく充実した賀詞交歓会でした。


(伊南倫理法人会経営者モーニングセミナーでの細江友子会長のご挨拶です。)


(モーニングセミナーの講師として、私から約40分間お話をさせて頂きました。)


(三峰川沿岸土地改良区連合新年会でお祝いのご挨拶を申し上げているところです。)


(長野県伊南倫理法人会 賀詞交歓会で、お祝いのご挨拶を申し上げているところです。)


(賀詞交歓会の最後に、全員で記念撮影を行いました。)