2014年1月 のアーカイブ

第81回自由民主党大会に出席

2014年1月19日 日曜日

1月19日は、午前10時から開催された「第81回 自由民主党大会」に出席しました。

まず大会開始前に、長野県からお見えになった皆様とともに壇上で記念撮影を行いました。

党大会の議事に引き続き、安倍総裁と幹事長から演説がありました。特に安倍総理の演説は、アベノミクスの3本の矢の具体策とその成果を基に、本年こそ、皆が経済再生を実感し、日本を元気にする年にしなければならない、という強い決意に満ちた素晴らしいものでした。

また、本日のゲストスピーチは、昨年のオリンピック招致決定を踏まえ、ゲストスピーカーとしてパラリンピック水泳の金メダリストである成田真由美さんと、オリンピックハンマー投げ金メダリストの室伏広治さんをお迎えし、司会の衆議院議員松本洋平先生と参議院議員髙階恵美子先生が聞き手となり、対談形式で進められました。それぞれに感動的なエピソードをお聞きし、あらためてスポーツの素晴らしさを感じました。

歌手の松崎しげるさんのミニステージでも、日本語の歌詞で歌った「ボラーレ」で元気をもらいました。

最後に、会場全員で党歌を歌い、万歳三唱を行いました。出席された多くの皆様から、「素晴らしい大会だった。」「元気が出た。」などの感想をお聞きしました。

いよいよ24日からは通常国会のスタートです。気を引き締めて、地方や中小企業、農家の皆様も含め、皆で日本を元気にする年にしなければ、との思いを強くした大会でした。


(会場に早めに到着された長野県関係者の皆様とともに、壇上で記念撮影を行いました。)


(安倍総裁からの力強い演説を聞き、私も気合が入りました。)


(成田真由美さん(右)と室伏広治さんのお話からは、厳しさを乗り越えることの大切さ、人との出会いの素晴らしさなどを感じることができました。)


(国歌斉唱、「ボラーレ」、「愛のメモリー」と、素晴らしい歌声を披露して下さった松崎しげるさんです。)


(壇上で党歌を歌う幹部の皆様です。)


(最後に全員で行った万歳三唱です。)


(今日の党大会の資料は、ふろしきに包まれていました。このふろしきは新しい自民党グッズだそうです。)


(資料の中には、ふろしきの結び方の解説書も入っていました。クリックでPDFファイルをご覧いただけます。)

オランダ訪問5日目、そして帰国

2014年1月18日 土曜日

1月17日は、アムステルダムを訪問し、花き卸売市場、国立博物館、ゴッホ美術館の視察、オランダ元国会議員との昼食懇談会、運河クルーズなどを行い、オランダでの全ての日程を終えました。

午後6時半過ぎ発の航空機でアムステルダムのスキポール空港を出発、日本時間1月18日午後4時前に成田空港に到着しました。

オランダという国を様々な観点から学び、改めて日本とオランダとの関係をより強化していくことが大切であることを感じた訪問でした。


(ハーグのホテルを朝7時過ぎに出発し、アースメールにある世界最大のフローラホランド花き卸売市場に8時に到着しました。長さ800メートル、幅500メートルの広い建物の中で多くの皆さん働いていました。この写真は、取引が確定した花の箱を運ぶ作業です。かなりのスピードで縦横無尽に移動しており、よく衝突しないものだと感心しました。)


(それぞれの花が何日でどれくらい開花するのか、どれくらい日持ちするのかをチェックしている部屋です。それぞれの花にはQRコード入りのタグがつけられ、スマートフォンでデータが確認できるようになっています。)


(上伊那で多くの花卉農家の皆様が栽培されているアルストロメリア(左上)をはじめ、様々な花が美しさを競っていました。)


(こちらは、一般のバイヤーの皆さんが花をチェックし、購入もできるショップの様子です。こちらにも、QRコード付きのタグがついていますね。)


(階段教室のような部屋でセリが行われています。実際には、インターネットでの参加もできるため、必ずしもここに来る必要はないそうです。セリには2000人以上が参加し、実際にここに来るのは、60から70人程度とのことでした。)


(これが、参加者の皆さんが見ている画面です。左中央の時計盤のような円の周囲の点が反時計回りにまわります。最高値からはじまり、回転が進むほど値が下がります。自分が落札したい値のところに点が来たときにボタンを押すという方式です。)


(アムステルダム国立博物館ではじめに解説して頂いたのは、最近のオークションで落札した日本製のチェストです。各面に源氏物語の場面の様子が描かれていました。)


(レンブラントの「夜警」の前で記念撮影。この絵の完成時には、左側にもう少し絵が描かれており、他の画家が残した模写で当時の構図がわかります。建物に飾る際に、サイズが合わなかったために切断されてしまったそうです。学芸員の方が「大変残念だ」とおっしゃっていました。)


(フェルメールのコーナーには4点の作品が展示されていました。多くの日本人の方々が鑑賞に来られていました。)


(有名な「牛乳を注ぐ女」です。近くで見ると、牛乳がねじれるように注がれている様子まで描かれています。写真撮影が許されているのも、日本とは違いますね。)


(色の美しいステンドグラスも、建物のあちこちにありました。)


(アムステルダム国立博物館をバックに記念撮影。すばらしい作品ぞろいで、全く時間が足りません。是非再び訪れたい博物館です。)


(近くでは、屋外スケートリンクで市民の皆さんがスケートを楽しんでいました。)


(四角いモダンな建物がゴッホ美術館です。)


(学芸員の方から、主な絵について解説をお聞きしました。若いころには、ひげが赤みを帯びており、このゴッホの自画像に似ていたそうです。)


(日本の浮世絵をモチーフにした作品2点です。特に右の作品は、竹、ハス、ガマがえる、鶴など、まわりに様々なものが配置されたとてもユニークな作品です。)


(昼には、蘭日貿易連盟の主催によるオランダの元国会議員の皆様との昼食懇談会が開催されました。前列右から蘭日貿易連盟の西谷日本代表、アッシャー元上院議員、ローゼンタール前外務大臣、ブリンクホルスト元副首相兼経済大臣、蘭日貿易連盟のマンテル会長、モライン事務局長です。)


(運河クルーズ乗り場で、帽子をかぶったかわいい坊やと衛藤団長のツーショットです。)


(いよいよ出発。約70分かけて、アムステルダムを一周しました。)


(中央、1階部分が黒い建物がアンネ・フランクの家です。)


(有名なマヘレの跳ね橋です。)


(のっぽの建物が寄り添うように並んでいて、童話の世界のようです。)


(運河には、水上生活者の皆さんの家が並んでいます。ほとんど場所は移動せず、ポストもあって、郵便物も届くそうです。)


(アムステルダムのスキポール空港の部屋で、辻大使をはじめ、支援を頂いた大使館スタッフの皆様といっしょに記念撮影を行いました。皆様、大変お世話になりました。ありがとうございました。)

オランダ訪問4日目

2014年1月16日 木曜日

1月16日は、ロッテルダムのロッテルダム港管理会社を訪問、同社の船でロッテルダム港を視察しました。

その後、在ロッテルダム日本国名誉総領事と面会しました。

昼には、本邦商船会社支店長の皆様との昼食会がありました。

午後には、ロッテルダム最大の可動堰である「マエスラント・ケーリング」を視察しました。

その後、アムステルダムに移動し、午後6時半に「在蘭日本商工会議所 賀詞交歓会」に出席。引き続き、商工会議所幹部の皆様と夕食懇談会を行いました。

ハブ港としてのロッテルダムのパワーや、オランダにおける治水の重要性、オランダでの日本企業の活躍などを実感した一日でした。


(ロッテルダム港管理会社に掲示されていた航空写真です。川の上流まで港湾施設がもうけられています。)


(ロッテルダム港管理会社のVLES-KATSさんから、港の経営体制などについて説明を受けました。)


(これは、ロッテルダム港管理会社のビルです。ロッテルダムは、第二次世界大戦中にドイツによって多くの建物が破壊されたため古い建物はほとんどなく、近代的な建物が多くたっています。)


(このクルーズ船で、会社周辺の港湾設備や停泊中の船などを視察しました。)


(港には、多くのコンテナ船やタンカーなど、様々な船がありました。1日に350隻の船がロッテルダム港を利用するそうです。)


(クルーズ船の中から、港の様子を見ながら、様々なお話を伺うことが出来ました。)


(在ロッテルダム日本国名誉総領事のヤコブ・ファン・デル・ホートさん(右から2人目)から、活動の内容についてお聞きし、意見交換をさせて頂きました。)


(会談終了後、名誉総領事を囲んで記念撮影しました。)


(港にあるホテルで、日系商船会社3社の現地責任者の皆様と食事をしながら意見交換をしました。皆さんの活躍されている様子をお聞きし、頼もしく感じました。)


(ロッテルダム地域を高潮を守るために建設された巨大可動堰「マエスラント・ケーリング」について、パブリックセンターのPeter Persoonさんから、初めに、経緯や概要についてお話を伺いました。)


(つぎに、当地域全体の具体的な治水対策などについてお聞きしました。高潮だけでなく、川の上流での豪雨による増水や、干ばつによる水不足への対策など、国を挙げて国土を守っている真剣さを感じました。)


(可動堰を近くで見学しました。画面左が扇のかなめの部分です。その大きさを実感しました。)


(最後に、センターにもどって記念撮影をしました。)


(アムステルダムへの移動中に撮影した農業用のガラスハウスです。ハウスの高さは2階建ての住宅ぐらいあり、中は、人工光で照らされています。こうした巨大ハウスが広大な敷地に広がっているところが多くみられました。)


(天気がよくなり、虹も見えました。)


(午後5時ごろに撮影しました。とても美しい夕焼けでした。)


(在蘭日本商工会議所 賀詞交歓会に到着後、衛藤団長から、日本の経済政策の現状の報告とお祝いのご挨拶がありました。)


(左がこれまで会頭を務められたオランダ三菱商事会社の三嶋偉一社長、右は、本日新会頭に就任されたオランダみずほ銀行の矢野崇社長です。)


(本日の賀詞交歓会には、オランダのヤン・ペーター前首相(右から2人目)もお見えになりました。ご兄弟が東京にいらっしゃるとのことで、日本にも何回か訪問されたとのお話をお聞きしました。)


(在蘭日本商工会議所幹部の皆様との夕食懇談会終了後撮影した記念写真です。)

オランダ訪問3日目

2014年1月15日 水曜日

1月15日は、国立公文書館訪問、下院議会視察、下院外交委員会との昼食会、オランダ外務省幹部との意見交換、平和宮・国際司法裁判所視察、蘭日貿易協会幹部との夕食会がありました。


(国立公文書館到着後、館長さんから通商条約など国際的な重要文書が多く所蔵されているとのお話をお聞きしました。)


(これが、1609年に徳川家康がオランダ東インド会社に与えた朱印状の箱です。右下の青いものは、貴重品を扱う際の手袋です。)



(これが、実物の朱印状です。家康は朱印状を4枚発行しており、これがそのうちの1枚です。以来、200年にわたってオランダが日本にとって唯一の西洋の窓口となりました。)


(訪問団メンバーで、朱印状を囲んで記念撮影しました。)


(これは、毎年来訪するオランダ商船に対し、幕府が「このような馬が欲しい」と図示した文書です。赤毛や白毛など、様々な馬を要望したことがわかりました。)


(これは、幕末の1858年に即位前の明治天皇名で出された通商条約の文書です。)


(右は、1862年のオランダ訪問団の一人であった福沢諭吉の手書きの名刺です。)


(1825年に描かれた長崎の絵図です。中央に大きくオランダ船が描かれています。とても美しい絵でした。)


(オランダの国会議事堂前にあったニシンのファーストフード店で、ニシンをつまんでがぶり。新鮮でとてもおいしかったです。)


(国会議事堂内のホールにあったオランダの歴史上の有名人の胸像の前で記念撮影しました。)


(1815年から今日までのすべての議事録が収められた書庫です。ドイツに占領され、国会が開けなかった1940年からの5年間分の棚だけが、空いたままになっています。ハリーポッターの世界のような部屋でした。)


(下院外交委員会の皆様との昼食会で、アベノミクスについて解説するとともに、教育者の経歴をお持ちのアイシンク委員長に、あるべき教育について質問しました。優しさ、愛、ケアが大切であることを教えて頂きました。)


(昼食懇談会終了後の記念写真です。右から三番目の女性がアイシンク委員長です。)


(オランダ外務省のヘールツ政務総局長、ハルトッホアジア大洋州局長との意見交換会の様子です。)


(国際司法裁判所が置かれている平和宮の前での記念撮影です。)


(玄関ホールにて。平和宮は1899年に万国平和会議でハーグ陸戦条約が採択されたことを契機に、アメリカのカーネギーの資金によって建てられました。また、各国が寄付した装飾品などが設置されており、宮殿と言うにふさわしい豪華な建物でした。)


(玄関ホール上のステンドグラスや彫像のある階段です。すてきな空間でした。)


(ロシアのニコライ二世が贈った大理石のモニュメントです。双頭の鷲で装飾されています。3メートル近い大きなものです。)


(日本からは、4枚のタペストリーが贈られました。これはそのうちの1枚です。)


(廊下には、5ミリ角ぐらいの小さな大理石のモザイク模様がありました。フランスの女性たちが手作業で敷き詰めたそうです。)


(小和田判事も座ったという会議室の椅子に座って一枚。)


(国際司法裁判所の大法廷で記念撮影。ここでは、国際司法手続きや、過去の領土紛争に対する判決などについて、詳しいお話をお聞きしました。)


(夕食会では、蘭日貿易連盟のマンテル会長(中央)、モライン事務局長(右から2番目)、西谷武夫日本代表(一番左)と、様々な意見交換が出来ました。とても楽しいひと時でした。)


(夕食会の会場であるインドネシア料理のお店は、マルク・ルッテ首相のお気に入りの店と聞いていましたが、幸運なことに、お店に来られた首相ご本人とお会いすることが出来ました。オランダと日本のご縁を感じました。)