8月4日は、午後1時から、春日城址公園において開催された「伊那の勘太郎祭典」に出席しました。
この「伊那の勘太郎碑」が建立されたのは、私が生まれた年と同じ昭和33年であり建立から今年で60年目となります。
「伊那の勘太郎」は当時の映画で全国的に有名になった主人公であり、ご当地キャラクターの走りといえる存在でした。
私からは、伊那市が様々な取り組みで全国的に注目されていることを踏まえ、お祭りのパワーを原動力にさらに発展されることを祈念してお祝いのご挨拶を申し上げました。
午後1時40分からは、「いなっせ」北側の広場で行われた、伊那商工会議所青年部の皆様による「ドラゴン横丁」の開会式に出席しました。本年は、駒ケ根商工会議所青年部と伊那青年会議所の皆さんもいっしょに横丁をサポートしてくださっていました。
私からは、お祭りを盛り上げる原動力である若い皆様が、地域活性化の主役として益々ご活躍頂くことをお願いし、お祝いのご挨拶を申し上げました。
午後2時10分からは、坂下区と坂下商工会の主催により開催された「史跡天竜川船着場祭典」に出席しました。
この入船の船着場は、明治時代に物流の拠点として栄えた場所であり、祭典は、人と物の中心であった歴史を振り返り、当地域の発展を願うものです。
私からは、改めて、治水対策をさらにすすめることと、伊那市を中心に伊那谷が人々の交流の場として発展できるよう努力することをお誓いして、ご挨拶を申し上げました。
午後4時20分からは、「第60回伊那まつり 開会式」に出席し、紹介を受けて皆様にご挨拶をしました。ちょうど雲がかかり、風も吹いて暑さも和らぎ、最高のお祭り日和となりました。
午後4時45分からは、伊那市主催の懇親会に出席しました。近隣の町村長や議長の皆様、伊那市ふるさと大使や特命大使の皆様も出席され、皆様と親しくお話をすることが出来ました。
午後6時過ぎからは、市民おどりに参加されている皆様を応援し、沿道を歩きました。今年の市民おどりも約6500名の皆様が参加されたとのこと。皆様の元気を感じました。
(伊那の勘太郎祭典でお祝いのご挨拶を申し上げているところです。)
(「ドラゴン横丁」の開会式でのお祝いのご挨拶の様子です。)
(「ドラゴン横丁」の開会式では、鏡開きにも参加させて頂きました。)
(「史跡天竜川船着場祭典」の神事で玉串奉奠を行っているところです。)
(「史跡天竜川船着場祭典」でのお祝いのご挨拶の様子です。)
(「伊那まつり開会式」の前に、皆様と記念撮影をしました。)
(伊那市建設業組合の皆様との記念写真です。)
(「伊那まつり開会式」での唐澤規夫実行委員長からの開会宣言の様子です。)
(「伊那まつり小宴」でお祝いのご挨拶を申し上げているところです。)
(伊那市のふるさと大使や芸術文化大使の皆様との記念写真です。)
(いよいよ「市民おどり」がスタート。伊那市役所有志の皆様が浴衣を着て踊った伊那節が素敵でした。)
(中央区の皆様との記念写真です。)
(伊那バスグループの皆様との記念写真です。)
(オリンパスの皆様は、青森オリンパスのある黒石市から運んできた「ねぷた」で市民おどりを盛り上げて下さっていました。)
(JA上伊那の連では、屋台に乗った御子柴組合長と記念撮影をしました。)
2018年8月 のアーカイブ
伊那の勘太郎祭典、史跡天竜川船着場祭典、伊那まつり開会式、伊那まつり小宴に出席、市民おどりの皆様と交流しました
2018年8月4日 土曜日伊那まつり前夜祭に出席しました
2018年8月3日 金曜日
8月3日は、地元に帰り、午後6時半から恒例の「第61回伊那まつり前夜祭」に出席しました。
伊那市の白鳥孝市長、伊那まつり実行委員会の唐澤規夫実行委員長をはじめ、多くの皆様からお祝いのご挨拶があり、私からも、伊那まつりの盛会を祈ってご挨拶を申し上げました。
多くの皆様と親しく懇談をすることが出来、とても楽しい前夜祭でした。
伊那まつりの詳細については、伊那市のホームページをご参照ください。多くの皆様のご参加をお待ちしています!
(伊那まつり前夜祭でお祝いのご挨拶を申し上げているところです。)
(今年の伊那まつりの冊子の表紙です。皆様も是非お出かけください!)
清和研政策委員会役員会開催、木曽町の原町長より提言、中部国道協会の皆様と石井国土交通大臣に要請
2018年8月2日 木曜日
8月2日は、午前9時から「清和研政策委員会役員会」を開催しました。
8月5日と6日の清和研夏季研修会において開催する政策検討会の実施手順についての確認を行いました。
午前10時過ぎには、木曽町の原 久仁男町長がお見えになり、長野県、愛知県、岐阜県、静岡県、三重県の5県の国道連絡会で組織する「中部国道協会」の提言書を頂きました。
今年は、長野県の当番年であり、原町長が中部国道協会の会長を務められています。原会長からは、道路整備が一層重要になっている現状についてお話を伺いました。
午後3時50分からは、中部国道協会加盟の5県の代表の皆様、衆議院議員の後藤茂之先生と太田昌孝先生とともに石井啓一国土交通大臣を訪ね、提言書をお渡ししました。
引き続き、各県の代表より、それぞれ重点的に進めるべき道路整備事業について説明を申し上げ、大臣からも前向きなご回答を得ることが出来ました。
(木曽町の原 久仁男町長から中部国道協会の提言書を頂きました。)
(大臣室を訪問し、石井国土交通大臣に、提言書をお渡ししました。)
(石井大臣は、各県の状況を熱心にお聴き取りくださいました。)
農民の健康を創る会で土浦協同病院となめがた地域医療センターを視察しました
2018年8月1日 水曜日
8月1日は、「農民の健康を創る会」で茨城県内の2つの厚生連病院を視察しました。視察に参加したのは、会長の宮腰光寛先生、茨城県ご出身の永岡桂子先生、国見あやの先生、そして事務局長の私です。(なお、水戸での夕食懇談会には、田所嘉徳先生が駆けつけて下さいました。)
まず、午前10時過ぎに東京駅を出発し、土浦駅に到着後、土浦市内で昼食をとり、午後1時前に「土浦協同病院」を訪問しました。
始めに、JA茨城県厚生連の佐野 治 会長からご挨拶を頂いた後に、出席した議員メンバーから自己紹介を兼ねたご挨拶を申し上げました。
次に、JA茨城県厚生連の小堀信弘理事長より厚生連の概況説明を、土浦協同病院の酒井義法病院長より病院の概況説明を頂きました。
続いて、病院内の新生児室やNICU(新生児集中治療室)、救急救命センターなどをまわり、担当の先生方からお話を伺いました。
その後、会議室に戻り、意見交換を行いました。最初に、JA茨城県厚生連の小堀理事長から、「消費税の損税問題」、「医師確保対策」、「医療提供体制維持のための補助」、「医師の働き方改革」などについてのご要望を頂き、これを踏まえて、同行頂いた厚生労働省や農林水産省の皆様も交えて質疑を行いました。
土浦協同病院は、平成28年3月に新築移転した、800床の許可病床を持つ、全国の厚生連病院でも最大級の病院ですが、平成27年と平成28年には、設備投資にかかる消費税について、診療報酬上乗せ分では賄えず、大きな当期損失を計上したとのことでした。こうしたことを踏まえ、来年の消費税率引き上げ時には、投資を行った際に過度の負担が生じないような制度的な手当てを求める強い要望が出されました。ご要望を踏まえ、しっかり検討をすすめてまいります。
つぎに、バスで約50分間移動し、「土浦協同病院なめがた地域医療センター」に向かいました。
始めに、なめがた地域医療センターの亀田尚徳病院長より病院の概況説明を頂き、質疑を行いました。
茨城県は、人口10万人当たりの医師数が189.8人で、全国ワースト2位(1位は埼玉県の160.1人)、中でも、なめがた地域医療センターのある鹿行地域は、95.7人で県内ワースト1位の医師不足地域であるとの説明を受けました。
なめがた地域医療センターは、土浦協同病院の分院としてサポートを受けていることが安心につながっているとのことでしたが、医師不足と医師の偏在の解消が喫緊の課題であることを強く感じました。
その後、院内をご案内いただきました。なめがた地域医療センターには、「地域包括ケア病棟」と「回復期リハビリテーション病棟」があり、患者の皆さんが家庭に帰るまでに充実したリハビリテーションが受けられることが特徴だそうです。
地域包括ケアを構築する上で、ヒントになる取組だと感じました。
その後、水戸駅近くで夕食懇談会が行われ、JA茨城県厚生連の皆様と、充実した懇談をすることが出来ました。
本日の視察にご協力いただいた全ての皆様に心から感謝を申し上げます。
(土浦駅からバスで移動中に、両側に延々と続くみごとなレンコン畑をみることができました。)
(土浦協同病院の外観です。)
(JA茨城県厚生連の佐野治会長からご挨拶を頂いているところです。)
(私から自己紹介を兼ねたご挨拶を申し上げているところです。)
(土浦協同病院の酒井義法病院長から病院の概況説明を伺っているところです。)
(新生児室の前で、総合周産期母子医療センターの先生方と記念撮影をしました。)
(NICU(新生児集中治療室)では、未熟児網膜症に対応するため、暗い中でケアが行われていました。)
(救命救急センター長の松宮直樹先生からお話を伺っているところです。)
(会議室に戻り、私の司会で意見交換が行われました。)
(土浦協同病院なめがた地域医療センターの外観です。)
(なめがた地域医療センターの亀田尚徳病院長から病院の概況説明をお聞きしているところです。)
(広々としたリハビリテーションルームで説明を伺いました。言語療法士の不足などが課題であるとのお話でした。)
(両側にひろがるサツマイモ畑を見ながら、水戸駅に向かいました。)