3月14日は、午後3時から「地方創生実行統合本部 地方創生推進委員会」に出席しました。
本日は、明日香村の森山裕一村長を講師にお招きをし、「明日香まるごと博物館づくり ~明日香村の地方創生~」と題したお話を伺い、質疑応答を行いました。
プレゼンテーション資料については、こちらをご参照ください。
明日香村は、昭和55年に公布された「明日香村における歴史的風土の保存および生活環境の整備等に関する特別措置法」のおかげで、歴史的遺産や環境が守られてきました。
今こそ、多くの人が明日香村を訪れることにより、日本のルーツの素晴らしさを実感することが大切ではないかとの思いを強くしました。
午後4時半からは、「創生『日本』勉強会」に出席しました。
本日は、本田悦朗内閣官房参与から「経済成長なくして財政再建なし」、高橋洋一 嘉悦大学教授より「最近の経済情勢について」と題したご講演を頂き、質疑応答を行いました。
アベノミクスにおける金融政策の重要性を中心に、経済成長による財政再建のあるべき姿と経済運営の課題について、体系的なお話を伺うことができました。
(地方創生推進委員会で講演された明日香村の森山裕一村長からのご挨拶です。)
(森山村長のプレゼンテーション資料の表紙です。)
(創生『日本』勉強会の様子です。)
(「創生『日本』の中曽根弘文会長代行からのご挨拶です。その右がご講演を頂いた本田内閣官房参与と高橋嘉悦教授です。)
2016年3月 のアーカイブ
地方創生推進委員会、創生『日本』勉強会に出席
2016年3月14日 月曜日第83回自由民主党大会に出席しました
2016年3月13日 日曜日
3月13日は、午前10時から開催された「第83回自由民主党大会」に出席しました。
開会前には、長野県から参加された皆様とともに記念撮影を行いました。
開会宣言に引き続き、東日本大震災から5年ということを踏まえ、会場全員で黙とうを行いました。
国歌斉唱は、この夏の参議院選挙に出馬される歌手の今井絵理子さんの歌に合わせて行いました。
議長団選出の後、谷垣禎一幹事長から党務報告が行われ、引き続き、優秀党員、優秀組織、友好団体に対する表彰が行われました。
つぎに、来賓として山口那津男公明党代表、榊原定征日本経済団体連合会会長からご挨拶を頂きました。
本年のゲストスピーチでは、昨年ノーベル賞を受賞された東京大学宇宙線研究所所長の梶田隆章先生から、「人類の知の地平を広げ、若い人が人類に貢献することにより、日本を世界から尊敬される国に貢献したい。そのための人材の育成が大学に課された使命であり、国民の皆様からのご支援をお願いしたい。」との趣旨でお話を頂きました。
党大会の後半は、参議院選挙必勝の決起大会となりました。
安倍晋三総裁からは、震災復興、経済再生、農業の振興、安全保障などの課題にふれながら、夏の参議院選挙について、「未来に責任を持てるのは自民党だ。選挙のためだったら誰とも組むという無責任な勢力に負けるわけにはいかない。勝利に向けてともに頑張ろう」との趣旨で、力強いご挨拶がありました。
引き続き、地方区ならびに比例区の参議院選挙候補者紹介が行われ、長野県選挙区の若林けんた先生に対し、われわれも大きな声援を送りました。
18歳・19歳の党員の皆さん、学生部の皆さんの音頭でガンバローコールを行いました。
最後に、会場全体で党歌を斉唱し、溝手顕正参議院議員会長の音頭で日本国・自由民主党の発展を祈念して万歳を行いました。
わが国の未来を切り開くためにも、頑張らなければ、との思いを強くした党大会でした。
(党大会の開始前に、長野県から参加された皆様と記念撮影を行いました。)
(ゲストスピーチを頂いた梶田隆章先生です。)
(安倍晋三総裁からの力強い演説で、私も元気を頂きました。)
(参議院候補者紹介の際に、大きく手をあげて登場した若林けんた先生です。)
(大会の最後に行われた万歳三唱の様子です。)
(大会の終了後に、優秀党員として表彰を受けられた伊那食品工業の塚越寛会長とともに記念撮影をしました。)
車座ふるさとトークin箕輪町に出席、林野庁今井長官と懇談、市野瀬地域支え合いセンター起工式に参加
2016年3月12日 土曜日
3月12日は、午前9時半から竹内譲厚生労働副大臣がお見えになり箕輪町で開催された「車座ふるさとトークin長野県箕輪町」に出席しました。
始めに、私と箕輪町の白鳥政徳町長からお祝いのご挨拶を申し上げ、続いて竹内譲厚生労働副大臣の進行により和やかな雰囲気の中で車座トークが行われました。
先進的な運動プログラムを保育園の活動に取り入れた「ひと味ちがう箕輪の子ども育成事業」、「みのわ健康アカデミー事業」による壮年の皆さんの健康づくりやコミュニティ活動、長寿クラブを中心とした「元気はつらつ箕輪の大先輩活動支援事業」などについて、活動を実践されている皆様の生の声を伺うことができ、私にとっても大変参考になりました。
午前11時45分からは、伊那市新山に昨年末に完成した「キットハウス」において開催された、林野庁の今井敏長官、伊那市の白鳥孝市長をはじめとする皆様との昼食懇談会に出席しました。
今井長官は、昨日塩尻市で開催された「木育サミット」にご出席の後、各地を視察され、本日は伊那市の新山小学校における国産材利用状況などを視察されました。
キットハウスは、伊那市が市内の森林資源や人材活用を目的として開発した「田舎暮らしモデルハウス」であり、地元産のヒノキ、スギ、アカマツ、カラマツを使用して建てられています。
基本はワンルームですが、家族が増えた場合には、広い吹き抜けに床をはって二階を広げたり、部屋を仕切って部屋数を増やすこともできます。また、地産地消のエネルギーを活用する薪ストーブとペレットストーブが設置され、使い心地を試すことができます。
今後、移住希望者を対象とした「お試し宿泊」も計画されているとのこと。地域資源の循環や地域活性化につながるこの取り組みの発展を期待しています。
午後2時からは、伊那市長谷の市野瀬地域支え合いセンター新築事業起工式に出席しました。
気持ちの良い晴天の下で起工式が執り行われ、私も玉串奉奠や鍬入れをさせて頂きました。
建設予定地の隣の多目的施設では、明日の観音まつりの準備で、地元の女性の皆様がおだんごづくりをされていました。地域のお祭りを支える皆様の元気な笑顔が印象的でした。
直会では、私から、本センター建設のための「地域介護・福祉空間施設整備事業」が、父 宮下創平が厚生大臣として介護保険制度の法案を成立させたのに合わせて創設された事業であることなどをお話するとともに、支え合いセンターの活用を通じて、市野瀬地区の皆様が益々元気で活躍されることをお祈りし、お祝いのご挨拶を申し上げました。
(車座ふるさとトークin長野県箕輪町の冒頭にご挨拶を申し上げているところです。)
(ふるさとトークは、竹内厚生労働副大臣の進行のもと、和やかな雰囲気で行われました。)
(ふるさとトークに参加された皆様全員で「元気になるぞ!」と掛け声をかけて記念撮影をしました。)
(伊那市新山のキットハウスでおいしいお蕎麦の昼食会を終え、今井林野庁長官を囲んで記念撮影をしました。)
(外にでて、キットハウスをバックに記念撮影しました。)
(今日は、気持ちの良い青空が広がっていました。)
(伊那市長谷の市野瀬地域支え合いセンター新築事業起工式の様子です。)
(お団子づくりを終えて懇談していた女性の皆様とお会いし、お団子をひとつごちそうになりました。)
(直会の席では、過去の経緯をお話し、地域の発展を祈ってご挨拶を申し上げました。)
下請中小企業対策小委員会、財務金融委員会理事懇談会に出席、飯田市牧野市長と懇談、東日本大震災五周年追悼式、在米日系人指導者との意見交換会に出席
2016年3月11日 金曜日
3月11日は、午前8時から、「中小企業・小規模事業者政策調査会 下請中小企業・小規模事業者対策小委員会」に小委員長代理の立場で出席しました。
本日は、日本金属熱処理工業会、日本鍛造協会、全日本プラスチック製品工業連合会、日本ねじ工業協会から、下請中小企業・小規模事業者の現状についてヒアリングを行いました。
およそ半分の下請け企業の皆さんが、コストアップ分の取引価格への転嫁ができていないこと、相対的に、自動車関連部品では仕事も多いため利益が得られているが、製造用機械関係は受注が減っている分、収益的に厳しい状況にあることなどがわかりました。
午前10時15分からは、「衆議院財務金融委員会 理事懇談会」に出席しました。来週の委員会日程などについて合意をすることができました。
午後12時半には、飯田市の牧野光朗市長が議員会館にお見えになり、飯田市の課題や取り組みなどについてお話を伺うことができました。
午後2時半からは、国立劇場で開催された「東日本大震災五周年追悼式」に出席しました。
国歌斉唱の後、午後2時46分から黙とうを行い、安倍晋三内閣総理大臣より式辞が述べられました。
天皇陛下からは、以下のお言葉がのべられました。(宮内庁ホームページより)
「東日本大震災から5年が経(た)ちました。ここに一同と共に,震災によって亡くなった人々とその遺族に対し,深く哀悼の意を表します。
5年前の今日,東日本を襲った巨大地震とそれに伴う津波により,2万人を超す死者,行方不明者が生じました。仙台平野を黒い壁のような波が非常な速さで押し寄せてくるテレビの映像は,決して忘れることができないものでした。このような津波に対してどのような避難の道が確保できるのか暗澹(あんたん)たる気持ちになったことが思い起こされます。また,何人もの漁業者が,船を守るために沖に向け出航していく雄々しい姿も深く心に残っています。
このような中で,自衛隊,警察,消防,海上保安庁を始めとする国や地方自治体関係者,さらには,一般市民が,厳しい状況の中で自らの危険や労をいとわず救助や捜索活動に携わったことに深い感謝の念を抱いています。
地震,津波に続き,原子力発電所の事故が発生し,放射能汚染のため,多くの人々が避難生活を余儀なくされました。事態の改善のために努力が続けられていますが,今なお,自らの家に帰還できないでいる人々を思うと心が痛みます。
こうした苦難の中で,政府や全国の地方自治体と一緒になって,多数のボランティアが被災者のために支援活動を行いました。また,160を超える国・地域や多数の国際機関,また在日米軍が多大な支援に当たってくれたことも忘れることはできません。
あれから5年,皆が協力して幾多の困難を乗り越え,復興に向けて努力を続けてきました。この結果,防災施設の整備,安全な居住地域の造成,産業の再建など進展が見られました。しかし,被災地で,また避難先で,今日もなお多くの人が苦難の生活を続けています。特に,年々高齢化していく被災者を始めとし,私どもの関心の届かぬ所で,いまだ人知れず苦しんでいる人も多くいるのではないかと心に掛かります。
困難の中にいる人々一人ひとりが取り残されることなく,1日も早く普通の生活を取り戻すことができるよう,これからも国民が心を一つにして寄り添っていくことが大切と思います。
日本は美しい自然に恵まれていますが,その自然は時に非常に危険な一面を見せることもあります。この度の大震災の大きな犠牲の下で学んだ教訓をいかし,国民皆が防災の心を培うとともに,それを次の世代に引き継ぎ,より安全な国土が築かれていくことを衷心より希望しています。
今なお不自由な生活の中で,たゆみない努力を続けている人々に思いを寄せ,被災地に1日も早く安らかな日々の戻ることを一同と共に願い,御霊(みたま)への追悼の言葉といたします。」
大島衆議院議長、山崎参議院議長、寺田最高裁判所長官からの追悼の辞に引き続き、岩手県、宮城県、福島県のご遺族代表からのことばがありました。
犠牲となられたご家族のことを思い、前向きに生きる決意をのべられたご遺族の皆様の言葉に胸がつまりました。
天皇皇后両陛下のご退席の後、献花が行われ、私も、犠牲者の皆様に心からの哀悼の誠をささげるとともに、復興に努力することをお誓いしました。
午後4時半からは、日米国会議員連盟の主催による「在米日系人指導者との意見交換会」に出席しました。
本日は、米日カウンシルのアイリーン・ヒラノ・イノウエ会長をはじめとする11名の皆様と、米大統領選やTPPの動向、慰安婦問題などについて、約1時間半にわたり、充実した意見交換をすることができました。
(下請中小企業・小規模事業者対策小委員会で、小委員長代理としてご挨拶を申し上げているところです。)
(飯田市が新たに制作された「飯田市絵巻物」(日本語と英語で飯田の様々な魅力を紹介したもの)を手に、牧野市長と記念撮影をしました。)
(東日本大震災五周年追悼式次第です。)
(在米日系人指導者の皆様との意見交換会の様子です。)
(会の最後に、参加者全員で記念撮影をしました。)