2014年3月 のアーカイブ

日本経済再生本部で司会、日本ティーボール協会の皆様と懇談、ベトナム国家主席国会演説、衆議院本会議開催、後援会南箕輪支部国会見学

2014年3月18日 火曜日

3月18日は、午前8時から「日本経済再生本部・金融調査会 合同会議」に出席し、金融調査会事務局長として司会進行を行いました。

本日は、慶應義塾大学教授の池尾和人先生を講師にお迎えし、「成長戦略に金融は何ができるか? 成長戦略2年目の課題」と題したご講演を頂きました。

「日本経済の課題として、輸出するものが安くしか売れなくなっているという構造問題がある。一方ドイツでは輸入品の価格が上がっても、輸出品を差別化して価格を引き上げることができている。」

「競争政策は、いかに同じ土俵の上で競争しないかを考えることだが、日本は、新興国と同じ土俵で競争するようになってしまっている。」

「労働市場改革と金融市場改革、企業制度改革が必要。成長分野に資源がまわらない障害を規制改革で除去すべき。」

「多くの日本企業は、企業の存続を目指し、倒産を回避することを最重要視している。このためリスクへの挑戦を通じた価値創造が行われていない。倒産法制を見直し、倒産コストを低下させることが必要。」

「景気動向で採用人員を増減させている日本企業は本当の意味で長期的な視点で経営されているとは言えない。長期的価値追求を促す企業経営指針が重要。」

など、大変示唆に富む内容でした。質疑応答も活発に行われ、大変充実した会議となりました。池尾先生はじめ参加された先生方に心から感謝を申し上げます。


午前10時半には、日本ティーボール協会の荒川博副会長、長野県連盟立ち上げの活動をされている伊那市の伊藤隆さんがお見えになりました。

荒川副会長は、王貞治選手に一本足打法を指導した方としても有名です。現在、「ティーボール」の普及活動に活躍されています。

「ティーボール」は野球やソフトボールに極めて類似したボールゲームで、大きく異なるところは、本塁プレートの後方に置いたバッティングティーにボールを載せ、その止まったボールを打つことからゲームが始まるところです。(したがってピッチャーはいません。)

現在は、文部科学省の「新・学習指導要領」の実施に伴い、全国の小学校でも体育の授業で行われている他、障害者の皆様による「スマイルティーボール」も行われているとのこと。

現在長野県内では、ほとんどプレーされていませんが、長野県内への普及について、協力の要請を頂きました。子どもさんから高齢者、障害者の皆様もいっしょに楽しめるスポーツである「ティーボール」をしっかり応援していきたいと思います。


正午からは、衆議院本会議場にてベトナム社会主義共和国チュオン・タン・サン主席による国会演説が行われました。

主席は、日本によるベトナムへの積極的な投資を呼び掛けるとともに、南シナ海で領有権を争う中国に対しては強く自制を求めておられました。これからさらに発展するベトナムとの関係の強化を図っていくことは、我が国にとっても重要なことであると思います。

午後2時からは、「衆議院本会議」が開催されました。

「在外公館法」「奄美・小笠原振興特措法」「裁判所定員法」「雇用保険法」「成田空港周辺整備特措法」の採決が行われ、いずれも可決されました。

引き続き、「国家安全保障戦略・防衛大綱・中期防衛計画」について安倍総理より報告があり、これに対し、自民、民主、維新、公明、みんな、結い、共産、生活の各党の代表からの質疑が行われました。

この本会議の最中に、地元から後援会南箕輪村支部の皆様が国会見学にお見えになり、本会議の傍聴をされました。

傍聴を終えた皆様と、衆議院の裏庭で懇談し、記念撮影をしました。皆様からは、「体に気をつけてがんばって。」など、大いに激励を頂きました。皆様のご期待にこたえられるよう、さらに頑張ってまいります。


(「日本経済再生本部・金融調査会 合同会議」での塩崎本部長代理からのご挨拶です。その右がご講演を頂いた池尾和人先生です。)


(左が日本ティーボール協会の荒川博副会長、右が伊藤隆さんです。)


(傍聴を終えた後援会南箕輪村支部の皆様から地元産のきれいな花束を頂きました。)


(皆様との懇談の後、全員で記念撮影をしました。皆様、いつも温かいご支援を頂き、本当にありがとうございます。)

飯田女子短期大学卒業式、自民党厚生労働部会に出席

2014年3月17日 月曜日

3月17日は、午前10時から、「飯田女子短期大学 第46回卒業式・学位授与式」に出席しました。

飯田女子短期大学は、保険養護、生活福祉、食物栄養、幼児教育、福祉心理、看護など、様々な実践的な課程が設けられ、卒業生の皆さんは、地域においても大活躍をされています。

私からは、卒業生とご家族の皆様に心からのお祝いを申し上げるとともに、新たな人生のスタートにあたり、私が大切にしている言葉である「着眼大局着手小局」の言葉を送り、是非広い視野をもって目の前の仕事にしっかり取り組んで下さい、とエールを送らせて頂きました。


その後、上京し、午後5時からは、党本部で開催された「厚生労働部会」に出席しました。

本日の議事は、「国家戦略特別区域法の施行についてけと「成長戦略関係の最近の動向について」でした。

特に、国家戦略特区では、病床規制の特例による病床の新設・増床の容認や保険外併用療養の拡充なども想定されています。既存の医療制度を守りつつ、特区での新たな取り組みをどのように組み入れていくのか、整合性についてもきちんと考えていくことの重要性を感じました。


(卒業生の皆さんの晴れやかな姿が印象的な卒業式でした。皆さんのこれからの大活躍を期待します。)


(「厚生労働部会」において、関係各省からの説明を聞いているところです。)

喬木村両平ふれあいセンター竣工式に出席、一建会国政報告会開催

2014年3月16日 日曜日

3月16日は、午前10時から喬木村両平地区に完成した「両平ふれあいセンター建設竣工式」に出席しました。

このセンターは、国の平成25年度地域介護・福祉空間整備等施設整備交付金事業」で造られたものです。

この事業は、父 宮下創平が厚生大臣だった平成11年に、平成12年4月から開始する介護保険制度の法律を成立させると同時に、介護予防の拠点となる施設を整備する目的で始めた事業です。

両平ふれあいセンターについても、長野県議会議員高橋たかとし先生とともにお手伝いをさせて頂いただけに、本日の竣工をとてもうれしく思います。昨年亡くなった父も、喜んでいることと思います。

私は、竣工式の祝辞の中で、こうした経緯を申し上げるとともに、「このふれあいセンターを地域の皆様が集う拠点として大いに活用頂き、皆様の元気と地域の発展につなげて頂きたいと思います。」とご挨拶を申し上げました。


午後5時からは、伊那本部事務所において、「一建会 国政報告会」が開催されました。「一建会」は、上伊那地域の建設関係の皆様が組織して下さっている後援会組織です。

本日は、私から、アベノミクスにおける社会資本整備の位置づけ、ダンピング入札や人材不足などの現在の建設産業の抱える課題と、これに対する対策としての品質確保法改正案等の内容、今後の伊那谷の道路網整備や治山・治水対策、観光開発の方向性等についてお話をし、質疑応答を行いました。

皆様からは、入札方法の改革や放射性廃棄物処理を含めた原子力政策の在り方など、様々なご意見やご質問を頂き、大変充実した意見交換をすることができました。

これからの地域発展を支える建設業において持続可能な経営と人材育成が実現できるよう、さらに改革に取り組んでまいります。


(こどもさんたちによる看板の除幕式、私も参加したテープカットに引き続き、出席者全員で記念撮影を行いました。)


(竣工式の挨拶の中で、関係者の皆様のご努力に敬意を表するとともに、センターを中心に当地域がさらに発展することをお祈りしました。)


(伊那本部事務所において開催された「一建会 国政報告会」で、現状の課題とこれから目指すべき姿についてお話を申し上げました。)

高遠町「壱刻」の山根健司さんと懇談、「九十九会」3月例会に出席

2014年3月15日 土曜日

3月15日は、午前11時から伊那本部事務所で、高遠町のお蕎麦屋さん「壱刻」のご主人である山根健司さんと懇談をしました。

山根さんご夫妻は、毎年1月から3月まで海外で過ごされ、その間に現地で行われる日本フェスティバルでそば打ちを披露する等、日本食の素晴らしさを広める活動もされています。

本日は、そうした経験を踏まえ、日本の文化・思想・世界観など世界に発信するための具体的な提言書をお持ちくださいました。

海外における外国人観光大使の活躍や海外の日本文化研究者への支援、様々なイベント開催などを通じて日本の文化を発信するとともに、海外から日本に来る観光客の皆様に、日本の思想や価値観を体験してもらう工夫が必要だとのご提言は、まさに的を得たものだと思います。その実現に向けて、頑張ることをお誓いしました。


午後6時半からは、昨年10月に伊那市内にオープンした「酒とかふぇ はしば」で開催された「九十九会」の3月例会に出席しました。

「九十九会」は、伊那青年会議所を1999年に卒業した仲間を中心としてつくられた会です。

お店に到着すると、ちょうど南箕輪村の唐木一直村長、原悟郎議長がいらしていました。早速、店主の八木択真さんも入って頂き、記念撮影をしました。

店主の八木さんは、大阪府堺市生まれですが、信州大学農学部で学び、その後新聞記者になられた後も、夏と冬の休暇には伊那を訪れ、学生時代の友人たちと過してきたそうです。

東日本大震災や紀伊半島豪雨の取材などを通じて、地域に根差した暮らしを考えるようになり、伊那への移住を決意、旧橋場歯科の建物を改造して飲食店を経営することとなったとのこと。伊那を故郷に選んでくださったことは、とてもうれしいことです。

「九十九会」では、いつものメンバーと、とても楽しいひとときを過ごすことができました。素敵なお店で気のおけない仲間と過ごすのは最高ですね。


(山根健司さんから素晴らしい提言書を頂き、充実した懇談ができました。誠にありがとうございました。)


(「酒とかふぇ はしば」の入り口です。「橋場歯科」の表示もそのまま残っていますね。)


(左から南箕輪村の唐木村長、私、店主の八木さん、原議長です。)


(「九十九会」は2階の部屋で開催されました。久しぶりに仲間との楽しい時間を過すことが出来ました。)