2010年1月 のアーカイブ

農村歌舞伎祭や後援会の新年会に出席

2010年1月17日 日曜日

本日(1/17)は、午前中に長野県伊那文化会館において開催された第四回信州農村歌舞伎祭に行ってまいりました。

この歌舞伎祭は、地域の伝統芸能団体の支援を目的として、長野県伊那文化会館が企画したものです。これまでは、県内の6団体が2日間にわたって公演する形式でしたが、無理のない公演の在り方を模索する中で、今年からは、3団体ずつが一年おきに公演する方式に変わったそうです。

今日は、下條村こども歌舞伎教室、南木曽町の田立歌舞伎保存会、伊那市長谷の中尾歌舞伎保存会の3団体の皆さんが公演をされました。

私は、公演前に、下條村の皆さんや長谷の皆さんの楽屋を訪ね、いろいろとお話を伺うことができました。下條村のこども歌舞伎教室の出演者は、小学校2年生から6年生の皆さんでしたが、台本を見せていただいたところ、難しい漢字や言い回しの多い難しいセリフばかりで、びっくりしました。こどもたちは、大人よりもむしろ長いセリフを覚えるのが早いのだそうです。

本番でも、はっきりとした声ですらすらとセリフを言っていたのに感心しました。物語は、源頼朝によっていったんは死罪が言い渡されたとなった幼い兄弟が、畠山重忠らの活躍で刑を免れるという話ですが、物語に引き込まれる素晴らしい演技でした。

本日は、そのあと、伊那市小沢の皆様による懇談会や飯島町の皆さんとの新年会に出席しました。この数日は、民主党小沢幹事長の秘書の逮捕などに揺れている政界ですが、皆さまからは、「そうした疑惑に対し、しっかりと追求して真実を明らかにしてほしい」という声と同時に、「自民党として、民主党の政策に対する対案などをきちんと打ち出してほしい」というご意見を多くお聞きしました。

私自身も、地域の皆様からの声や現場での情報を元に、しっかりとした政策作りに邁進していきたいと考えています。


(下條村こども歌舞伎教室の出演者の皆さん。中央が主役の一人を演じた松本さん)


(午後からの出番の準備をされていた長谷の中尾歌舞伎保存会の皆さんと記念撮影)


(下條こども歌舞伎のクライマックスで見えをきる主役の二人)

天竜村の皆さまと焼津に行ってまいりました

2010年1月16日 土曜日

本日(1/16)、天竜村女性部の皆様とともに、静岡県焼津市までの日帰り旅行に行ってまいりました。

前日は天竜村に宿泊し、今朝は、まだ暗い6時にバスで出発しました。今日は、中央道と中部横断道を通り、山梨県経由で静岡県に入りました。5時間以上の道のりですが、道中、ゲームや歌などでとても楽しい時間を過ごすことができました。同時に、考えたのは、もし、三遠南信自動車道が完成すれば、天竜からもすぐに静岡に入ることができるということです。あらためて、三遠南信の早期実現の必要性を実感しました。

お陰さまで、天気にも恵まれ、大トロづくしのお昼御飯も、大変おいしく頂きました。食事の後は、海産物のお買いもの。皆さんは、そのあと、久能山東照宮へのお参りに行かれましたが、私は、お昼で別れ、夕方から行われた伊那青年会議所の新春会員大会に向かいました。

私も、伊那JCの卒業生の一人であり、久しぶりに多くの仲間や先輩、そして現役メンバーの皆さんと有意義な交流ができました。経済状況の悪化もあり、全国で青年会議所のメンバーが減っているのが残念ですが、そうした困難を乗り越えて、まちづくりや青少年の育成など、様々なテーマを掲げて、今年も活躍してほしいと願っています。


(焼津に到着したところで全員で記念撮影。本当によい天気でした。)


(大トロづくしのお昼御飯です。とてもおいしく頂きました。)

箕輪町で山車飾の観賞会

2010年1月10日 日曜日

本日(1/10)、箕輪町南宮神社で開催された山車飾(だしかざり)の観賞会に出席してまいりました。

箕輪町の山車飾りは、山車飾保存会(岡 久幸 会長)の皆さまを中心に、地域の有志の皆さんが様々なテーマで人形や舞台をつくり続けてこられたものです。明治初年以来、百年以上も続いており、昭和63年には町の民族無形文化財に指定されました。山車作りの資金も、一部は町からの補助があるものの、ほとんどは地域の皆さまの寄付によるものだそうです。

近年では、総合学習の一環として、小学校三年以上の皆さんが参加する山車も展示されるようになっています。

今日は、保存会前会長の蟹澤廣美さんや、後援会の役員でもある小平浩さんにご案内を頂き、それぞれの山車を見学させて頂きました。

今年の題材は、保存会の皆さまによる「縁起の虎」、「加藤清正と虎」、「「平家の滅亡(壇ノ浦の戦い)」、「決戦・川中島の戦い」と、子どもたちの作品である「猿蟹合戦」、「おむすびころりん」でした。製作には、11月から二カ月以上かけたというお話でしたが、どれも力作ぞろいの素晴らしい山車でした。

また、それぞれの山車にはその場面の説明がわかりやすく表示されていたほか、立派な「山車飾解説」が配布されました。子どもたちにとっても、歴史や伝統に興味をもって勉強する良いきっかけになっているというお話でした。

このお祭りが終われば、来年の山車の構想づくりを始めるとのこと。保存会の皆さんの生き生きとして笑顔が印象的でした。


(左がご案内を頂いた蟹沢さん、右が小平さんです)




(こどもの山車クラブである「スマイル山車くらぶ」の作品「猿蟹合戦」)



(武田信玄と、信玄の本陣に突入した上杉謙信が登場する「川中島の戦い」)

「どんど焼き」の準備

2010年1月9日 土曜日

本日(1/9)も、伊那市内でいくつかの新年会に出席させていただいた他、下伊那にもあいさつに伺いました。その途中、飯田市松尾の上溝の皆さんが、お正月の松かざりやダルマを積み上げて行う「どんど焼き」の準備をされていました。

高さが10メートル以上もある「どんど焼き」のてっぺんには、子どもたちがつくった花笠がかざられています。今日は、子どもたちやお父さん、お母さん方が中心となって午後から積み上げたそうです。明日(1/10)は、まだ暗い午前5:30頃に点火予定とのこと。

インターネット(Wikipedia)によれば、「どんど焼き」は、呼び方はいろいろありますが全国各地で行われ、

1月14日の夜または1月15日の朝に、刈り取り跡の残る田などに長い竹を三四本組んで立て、そこにその年飾った門松注連飾り書き初めで書いた物を持ち寄って焼く。その火で焼いたを食べる、また、注連飾りなどの灰を持ち帰り自宅の周囲にまくとその年の病を除くと言われている。また、書き初めを焼いた時に炎が高く上がると字が上達すると言われている。 道祖神の祭りとされる地域が多い。」

と書かれています。

飯田市内だけでも、おそらく100を超える「どんど焼き」が行われるようです。子どもたちを交えて、地域みんなでとりくむ伝統行事が、こうしてしっかりと受け継がれているのは、とても素晴らしいですね。


(中心となってがんばったお父さんたちと 記念撮影)