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保科正之に学ぶ危機対応、駒ヶ根市土地区画整理事業竣工式に出席

2011年3月23日

本日(3/23)の日本経済新聞の経済教室欄に、東京大学教授の山内昌之先生が、「官僚機構、再編し活用せよ 明暦の大火に学べ 総合力と全体的判断力を」と題した文章で保科正之公のことが書かれています。

保科正之公は、徳川二代目将軍秀忠の子ですが、7歳のときに高遠藩保科家の養子となり、26歳に会津に転封となるまで19年間、高遠で人格をはぐくみました。41歳で4代将軍家綱の後見役となり、「玉川上水の開削」「社倉の創設」「末期養子の禁の緩和」「殉死の禁止」「大名証人制度の廃止」など、数多くの善政を行いました。


以下に、経済教室の内容の一部を要約します。

「関東大震災、東京大空襲を除くと、明暦の大火(1657年)が人史上最大の災害。焼死者は10万人以上、被災者からは凍死者も相次いだ。これを収集したのが4代目将軍徳川家綱を補佐した保科正之(会津藩主)。」

「江戸城本丸焼失後に将軍を上野に移す案があったが、最高権力者がみだりに動いては人心を惑わすと、本丸跡に陣屋を建てて司令塔の所在をはっきりさせた。」

「扶持米を収納している米蔵が類焼しそうになると、米を勝手に持ち出してよいと命じ、これが食糧支援となり、またボランティアによる消火活動を促すこととなった。」

「寒さに震える人々に1日当たり1000俵相当の粥を提供し、犠牲者の拡大を防ぐとともに、家を失った町方への救助金として合計16万両(間口一間につき3両1分)を支出した。」

「正之は、財政不安を案じる同僚に、『こうした時にこそ官の貯蓄は武士や庶民を安心するために与えるものなのだ。出費できる力が国にあるのは大いに喜ぶべきだ』と語った。」


そのほかにも、山内先生は関東大震災のわずか5日後に内務大臣の後藤新平が「帝都復興の議」を提案し、強烈なリーダーシップで東京の再建を進めたことなどを紹介しています。今こそ、歴史的ビジョンを示し、復興機関を創設するなど、政治が本当の意味での力を発揮すべき時であると感じます。

また、伊那市では、保科正之の人生をテレビドラマ化する運動を進めています。日本が大きな危機に直面している今、是非実現たいものです。

 

午後には、駒ヶ根市都市計画事業「南田市場土地改良区画整理事業」竣工式に出席しました。

昭和57年の都市計画決定から約30年、平成13年の工事着工起工式から10年の歳月をかけて、40.8ヘクタールの面積の土地区画整理が完成しました。

推進委員長の竹内滋一さんをはじめとする341人の地権者の皆様、中原正純前市長、杉本幸治市長をはじめとする関係者の皆様のご努力に心から敬意を表したいと思います。 


(大震災の復興を支えるためにも、この事業の完成を機に、駒ヶ根市がさらに発展することを期待したいと思います。)


(施行後には、伊南バイパスを中心に、町が大きく変わっているのがわかります。)

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