本日(7/24)は、県営飯田野球場で開催された「第40回 飯伊少年野球選手権大会」の開会式に出席しました。
今年の参加チームは昨年より1チーム増えて33チームです。選手の皆さんの元気な行進を見て、とても頼もしく感じました。
大会を運営されている飯田早起き野球連盟や飯田青年会議所をはじめとする関係者の皆様のご努力に心から敬意を表したいと思います。
(私は「なでしこジャパンのように、チームワークを大切に、最後まであきらめないで、思い出に残る大会にしてください。」と祝辞を述べました。)
開会式の後、飯田市内で開催されている「創書会・親墨会 合同書道展」を訪問しました。
2つの会は、県シニア大学をきっかけとして塚田嶺山先生の下で勉強されている皆様の会だそうです。
中国の古典をはじめとして、読みやすいかなまじりの「調和体」の作品まで、素晴らしい作品ぞろいでした。改めて書の美しさを感じた展覧会でした。
(お話をお聞かせくださった上松恵風さんの作品の前で記念撮影。)
次に、NPO法人飯田ボランティア協会の主催による「第33回ふれあい広場」を訪問しました。
ちょうど、震災後、飯田ボランティアセンターの皆様が3回支援に行かれた仙台市福住町から、町内会の皆様が来られており、町内会長さんの講演で現地の様子をお聞きすることができました。
「普段から、どこに誰がどのような状態でいるのか、名簿を整備しておくことが大切。福住町では、全戸を訪問するなどして、名簿を作って置いたのがよかった。被災時に名簿は流されたが、役員の皆様の頭に情報が残っていた。おかげで、3/11の地震発生から約1時間で安否確認ができた。障害者の皆様も、自己発信をしておくことが大切。」
「トイレの問題が一番大変だった。トイレを我慢するために食べない・飲まないことで体調を崩し、亡くなった方もいた。」
「特養などに福祉避難所を設け、障害者の皆様を受け入れるようにしたのは良かった。」
「避難所によってはペットを受け入れないところも多く、そのため無理をして自動車の中で寝泊りをして、エコノミークラス症候群で亡くなった方があった。一方、ペットと一緒に避難できた場所もあった。」
「津波のときには、高架や土手の上を走っている高速道路に上って助かった人が多かった。避難用に階段を整備しておくことが望まれる。」
「支援物資を送るときは、女性でも持てる軽いものに小分けして欲しい。」
「今後、防潮堤などを作る場合には、海の中ではなく、陸の上に、がれきなどを活用して作るべき。」
「町内会と民生委員の皆様が協力して1年に1度名簿を整理してきた。個人情報保護法にも配慮しながら、住民の皆様の理解を得て、町内会役員が情報を把握することが大切。」
など、被災体験を通しての貴重な提言が多くありました。こうしたことを今後の災害対策にしっかりと生かしていかなければならないと感じました。
(講演会の後で、福住町の皆様と記念撮影。私の右が町内会長さん、右から3番目が飯田ボランティア協会の大蔵正明理事長です。)
次に、喬木村出身の児童文学者「椋 鳩十」の記念館を訪問しました。
「山の太郎熊」「大造爺さんと雁」「肩耳の大熊」「マヤの一生」など、数々の動物物語で親しまれている椋鳩十の生涯を知ることができました。
教育者として「母と子の二十分間読書」を提唱し、この運動が全国に広まったというのもすごいことだと感銘を受けました。
博物館には、椋鳩十の作品や多くの絵本・児童書をはじめとして充実した蔵書を所蔵する図書館が併設されています。多くの皆さんに訪れて頂きたい記念館と図書館です。
(椋鳩十記念館の前で。椋鳩十の人柄が伝わる素晴らしい展示でした。)
次に、今年の5月に新たにオープンした飯田市山本の「伍福園 スイートガーデン」を訪問しました。
このガーデンをつくられた株式会社伍福園の小田切 通利 社長にご案内を頂きながら、様々な花を楽しむことができました。
バラを中心とする1000種以上、35000株以上の四季折々の花々が咲く庭園に加え、見晴らしのいいデッキで飲むお茶のひと時も最高でした。新たな観光名所としての魅力十分。皆様是非お出かけください。
(お忙しい中、ご案内を頂いた小田切社長に感謝申し上げます。秋にまた伺いたいです。)
夜には、伊那市において後援会中央区支部の役員会が開催されました。
これまで空席となっていた支部長に元市議会議員の高沢 勝 先生、事務局長にナカムラ時計店の中村社長にご就任頂くことが決定し、新たなスタートを切ることができました。
また、お集まりいただいた幹部の皆さま方から、貴重なご意見を頂くことができました。「今後、女性の皆様の組織も強化し、来るべき戦いに備えていこう」と心を一つにしました。
(私の右が高沢新支部長です。竹中則子女性部長もかけつけて頂きました。皆様、益々お世話になります。)