本日(7/17)は、飯田市長杯空手道選手権大会に空手協会飯田支部名誉会長の立場で出席しました。
私はご挨拶の中で、「空手を通じて心身を鍛え、礼節を学んでいる選手の皆さんには、未来の日本をつくる原動力となって活躍してほしいと思います。今日の大会では、これまでの稽古の成果を活かし、思い出に残る活躍をしてください。」と申し上げました。
(この大会には、飯田市だけでなく、飯島町や駒ヶ根市、茅野市や諏訪市など各地から選手の皆さんが参加されました。)
(型の試合では、女子選手の皆さんも、気迫あふれる技を繰り出していました。)
その後、飯田市南信濃の木沢地区の皆様により行われた小嵐神社の夏の例大祭に伺いました。
小嵐神社は、木沢地区から山道を20分ほど上がったところにあります。残念ながら、神事には間に合いませんでしたが、神社まで行ってお参りをしました。
「小嵐神社」で検索してみると、「天明八年(1788)、京都で大火が起こり東本願寺が焼け落ちました。その再建のための用材集めを発願していた遠州浜松の齢松寺の僧が、信州遠山にすばらしい木があることを聞きつけてこの地にやってきました 。そして寛政元年(1789)、険しい山の作業の無事を祈るために、山主である大屋孫治郎という庄屋と協力して京都伏見稲荷から分霊を勧請してきたのが、この小嵐稲荷神社なのだそうです。」という由来を発見しました。
木沢の皆様によれば、この神社が元になって、飯田市内の松尾などに神社が分祀されて作られたとのこと。
(小嵐神社の社の周りには、多くの鳥居と、狐の像がまつられていました。)
参拝の後、山を下りて、木造の校舎で有名な旧 木沢小学校の体育館で開催された直会の席にお邪魔しました。
皆様からは、森林鉄道が大活躍していたころの南信濃のにぎやかな様子などのお話をお聞きすることができました。
今、地元では森林鉄道を復活させようという企画があり、今年の秋には、50メートルの線路で「林鉄」を動かす予定だそうです。
今後、三遠南信自動車道が開通すれば、南信濃は長野県の南の玄関口になります。観光開発としても、森林の中を走る森林鉄道の復活は夢があると思います。
(木沢の皆さんは、元気でたくましい方ばかりだと感じました。地域の発展のために、ご活躍を期待したいと思います。)
(会の最後に全員で記念撮影。皆様、楽しいお話をいろいろと聞かせていただき、ありがとうございました。)