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父 宮下創平が亡くなりました

2013年10月10日 木曜日

父 宮下創平は、8月中旬より病気療養のため入院しておりましたが、10月7日午前10時前に亡くなりました。生前にお世話になりました皆様に対し、心から感謝を申し上げます。

また、多くの皆様から弔電やメッセージ等を頂いております。この場をお借りし、重ねて御礼を申し上げます。

10月9日に近親者にて密葬をすませましたが、以下の通り、伊那市と東京都内において告別式を執り行う予定にしております。

告別式(伊那市)10月14日(月)13時から
「虹のホール伊那」
長野県伊那市東春近車屋207
電話 0265-76-2080

告別式(東京) 10月21日(月)12時から
「青山斎場」
東京都港区南青山2-33-20
電話 03-3401-3653


父は、昭和54年の衆議院議員初当選以来、多くの皆様のご支援を頂き、3回の大臣を含め、24年間にわたって充実した政治生活を送ることが出来ました。私自身も、後半の12年間、大臣秘書官として、また政策秘書として父を補佐し、その活動を間近に見てまいりました。

防衛庁長官の際には、PKO法案を成立させ、自衛隊をカンボジアに派遣、現地で隊員の皆さんを激励しました。

環境庁長官時代には、環境外交を展開、ベルリン会議に出席して京都会議を誘致し、京都議定書発効に道筋をつけた他、自民、社民、さきがけの3党による水俣病患者の皆様に対する救済策をまとめあげました。

厚生大臣時代には、介護保険法案を成立させ、翌年4月の施行に向けた準備を進めるなど、社会保障の充実に努力しました。

現役晩年には、自民党税制調査会の小委員長として、毎年の税制改正に中心的存在として取り組みました。

週末には必ずといってよいほど地元に戻り、皆様の声を伺い、地域の課題にも真摯に取り組みました。社会資本整備にも注力し、権兵衛峠トンネルで伊那谷と木曽谷を結んだ他、三遠南信自動車道やリニア中央新幹線の促進にも努力しました。

また、現役引退後は、平成19年から今年の4月まで千鳥ヶ淵戦没者墓苑奉仕会会長を務める等、いくつかの団体の責任者として活動をしておりました。

常にふるさとを愛し、我が国の発展を願って働いた一生であったと感じます。私自身も、父の志を受け継ぎ、新たな時代を創造するために努力してまいる決意です。今後とも、何卒よろしくお願い申し上げます。

(告別式の詳細ならびに父の略歴については、「訃報および略歴」をご参照ください。)