本日(11/25)は、午前中にホテルを出て、全員で知覧へ向かいました。
はじめに、知覧の武家屋敷とその庭園を見て回りました。
江戸時代の知覧は、島津家の分家である佐多氏が治めていました。佐多氏16代久達の時代に知覧の私領化と島津姓の使用が許可され、このころに武家屋敷が造られたものと推定されているようです。
地域内は、沖縄風の石垣や、美しい生垣で囲まれ、7つの家の庭が公開されています。タイムスリップをしたような、ゆったりとした時間が流れる美しい街並みでした。
(武家屋敷の見学には、多くの団体客の方々も訪れていました。)
(これが全体図です。この武家屋敷の中心の通りを地図上左上に抜けたところに、我々の宿泊する富屋旅館があります。)
武家屋敷の見学の後、早めに富屋旅館に到着したため、明日訪問する予定だった「知覧特攻平和会館」に行きました。
敷地内には、戦闘機の復元したものや、特攻隊員が出撃前夜を過した兵舎の再現したものなどがあり、本館内では、隊員の遺影、遺品、記録などを観ることができました。
(2007年に公開された映画「俺は、君のためにこそ死にに行く」の撮影のために復元された一式戦闘機「隼」の前で。)
(特攻像「とこしえに」は、全国の心ある人々によって昭和49年に建てられました。制作は日展審査員の伊藤五百亀先生です。)
(隊員が出撃前の数日を過した三角兵舎も復元されていました。実際には、さらに小さいもので、屋根には杉の幼木をかぶせる偽装がなされていたそうです。)
その後、富屋旅館にもどり、研修プログラムの一環として、女優の「たぬき」さんの一人芝居で、当時の富屋食堂のおかみさんである鳥浜トメさんが語る特攻隊員との思い出について、学びました。
(富屋食堂は、軍の指定食堂に指定され、まもなく攻撃に向かう若い隊員が多く訪れました。トメさんは、お母さんとして慕われていたそうです。)