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名君「保科正之公」生誕400年記念事業に出席

2011年4月29日 金曜日

本日(4/29)は、伊那市高遠町で開催された名君「保科正之公」生誕400年記念事業に出席しました。

保科正之公は、江戸時代のはじめに2代将軍徳川秀忠のご落胤として生まれ、7歳のときに保科家の養子となって信州高遠に来ました。成人して3代将軍家光の異母兄弟として知られるようになり、26歳で出羽国最上(山形)藩20万石の大大名となるまで高遠城に暮らしました。その後、会津藩23万石の藩主に出世し、さらには幼い四代将軍家綱の後見人としてかじ取りをした素晴らしいリーダーとなりました。

高遠町では、「保科正之公」の生涯を大河ドラマ化しようと、8年前から運動を続けており、現在署名が約44万人分集まっています。

午前11時からは、高遠町歴史博物館の前庭にある若き日の保科正之像の前で、神事が執り行われ、私も玉串の奉奠をさせていただきました。


(神事には、地元の関係者の皆様に加え、会津若松市や猪苗代町など、保科公ゆかりの地からも多くの皆様が出席されました。)

 

午後からは、高遠町総合福祉センター「やますそ」にて、記念講演会とパネルディスカッションが行われました。

記念講演会の講師は、「国家の品格」の著者としても有名な藤原正彦先生です。演題は「日本という国」。にこやかに、時に鋭く、ユーモアを織り交ぜながらの素晴らしいご講演でした。

・日本文明は、文学、芸術、数学、物理学など、各方面で成果に誇るべきものである。
・日本人のもっとも重要な資質は「美的感受性」であり、その源泉は美しい自然や田園にある。
・日本人は単なる物まねでなく、独創を加えてさらに良いもの、美しいものをつくろうとする。
・家族愛・郷土愛・祖国愛は人類愛に通じ、戦争の抑止力となる。
・武士道は江戸時代に全国民の精神となった。特に重要なのは惻隠の情(弱者への涙)と卑怯を憎む心。
・日本は道徳・倫理で自己規制する国だった。膨大な法律がなければならない法治国家は恥ずべきもの。
・金よりも徳、競争よりも和。
・1980年代に実現した「一億総中流」は理想の姿。グローバリズムや弱肉強食ではだめ。
・日本人の美的感性には普遍的価値がある。
など、日本人の素晴らしさや、使命について考えることのできるお話で、本当に感銘を受けました。


(藤原先生には、素晴らしいご講演をいただき、本当にありがとうございました。)

 
第二部では、「保科正之公の大河ドラマ化を目指して」をテーマにパネルディスカッションが開催されました。

パネラーは、直木賞作家であり、「保科正之公」についての著書もお書きになっている中村彰彦先生、会津若松市の菅家一郎市長、猪苗代の偉人を考える会会長の江花俊和さん、前高遠町長で保科正之公の大河ドラマをつくる会副会長の伊藤義人さんの4人です。

コーディネーターの伊藤良一さんの進行で、それぞれの皆様から保科正之公の素晴らしさや今後の活動への提言などがなされました。

多くの皆様から言及があったのは、保科正之公が将軍家の後見人として活躍している際に起こった明暦の大火への対応が素晴らしく、その後の江戸の復興にも新たな防災の視点を盛り込んだ施策を打ち出したことです。

危機に立たされている我々日本人は、もし今、保科正之公がいらしたらどうするかを考えながら行動していかなければならないと感じます。

また、我々が誇るべき偉人として保科正之公を多くの皆様に知っていただくためにも、大河ドラマ化に皆で取り組んでいきたいと思います。
 


(充実したパネルディスカッションで、1時間があっという間に過ぎてしまいました。)

 

夜の交流会までに時間があったので、東高遠の花の丘公園に家内とともに出かけました。

少し標高が高いこともあって、まだ桜も残っており、さらに盛りとなる八重桜が咲き始めていました。

高遠城址公園の桜は終わりましたが、まだまだ花の名所はあります。皆様是非お出かけください。

 

(八重桜は、来週あたりが見ごろだそうです。水仙の花もきれいですよ。)

 

夜には、高遠さくらホテルで参加者交流会が開催されました。パネルディスカッションに参加された皆様や、猪苗代町、東三河の皆様など、多くの皆様とお話しすることができました。

保科正之公が繫いでくださったご縁をこれからも大切にしていきたいと思います。


(前に座られているのが中村彰彦先生と奥様です。後列は、左から伊藤義人元町長、菅家一郎会津若松市長、白鳥孝伊那市長、猪苗代町の江花俊和さん、私、武田家16代当主の武田邦信さん、伊那市観光協会の阿部凱人さんです。)