3月11日は、午前8時から、「中小企業・小規模事業者政策調査会 下請中小企業・小規模事業者対策小委員会」に小委員長代理の立場で出席しました。
本日は、日本金属熱処理工業会、日本鍛造協会、全日本プラスチック製品工業連合会、日本ねじ工業協会から、下請中小企業・小規模事業者の現状についてヒアリングを行いました。
およそ半分の下請け企業の皆さんが、コストアップ分の取引価格への転嫁ができていないこと、相対的に、自動車関連部品では仕事も多いため利益が得られているが、製造用機械関係は受注が減っている分、収益的に厳しい状況にあることなどがわかりました。
午前10時15分からは、「衆議院財務金融委員会 理事懇談会」に出席しました。来週の委員会日程などについて合意をすることができました。
午後12時半には、飯田市の牧野光朗市長が議員会館にお見えになり、飯田市の課題や取り組みなどについてお話を伺うことができました。
午後2時半からは、国立劇場で開催された「東日本大震災五周年追悼式」に出席しました。
国歌斉唱の後、午後2時46分から黙とうを行い、安倍晋三内閣総理大臣より式辞が述べられました。
天皇陛下からは、以下のお言葉がのべられました。(宮内庁ホームページより)
「東日本大震災から5年が経(た)ちました。ここに一同と共に,震災によって亡くなった人々とその遺族に対し,深く哀悼の意を表します。
5年前の今日,東日本を襲った巨大地震とそれに伴う津波により,2万人を超す死者,行方不明者が生じました。仙台平野を黒い壁のような波が非常な速さで押し寄せてくるテレビの映像は,決して忘れることができないものでした。このような津波に対してどのような避難の道が確保できるのか暗澹(あんたん)たる気持ちになったことが思い起こされます。また,何人もの漁業者が,船を守るために沖に向け出航していく雄々しい姿も深く心に残っています。
このような中で,自衛隊,警察,消防,海上保安庁を始めとする国や地方自治体関係者,さらには,一般市民が,厳しい状況の中で自らの危険や労をいとわず救助や捜索活動に携わったことに深い感謝の念を抱いています。
地震,津波に続き,原子力発電所の事故が発生し,放射能汚染のため,多くの人々が避難生活を余儀なくされました。事態の改善のために努力が続けられていますが,今なお,自らの家に帰還できないでいる人々を思うと心が痛みます。
こうした苦難の中で,政府や全国の地方自治体と一緒になって,多数のボランティアが被災者のために支援活動を行いました。また,160を超える国・地域や多数の国際機関,また在日米軍が多大な支援に当たってくれたことも忘れることはできません。
あれから5年,皆が協力して幾多の困難を乗り越え,復興に向けて努力を続けてきました。この結果,防災施設の整備,安全な居住地域の造成,産業の再建など進展が見られました。しかし,被災地で,また避難先で,今日もなお多くの人が苦難の生活を続けています。特に,年々高齢化していく被災者を始めとし,私どもの関心の届かぬ所で,いまだ人知れず苦しんでいる人も多くいるのではないかと心に掛かります。
困難の中にいる人々一人ひとりが取り残されることなく,1日も早く普通の生活を取り戻すことができるよう,これからも国民が心を一つにして寄り添っていくことが大切と思います。
日本は美しい自然に恵まれていますが,その自然は時に非常に危険な一面を見せることもあります。この度の大震災の大きな犠牲の下で学んだ教訓をいかし,国民皆が防災の心を培うとともに,それを次の世代に引き継ぎ,より安全な国土が築かれていくことを衷心より希望しています。
今なお不自由な生活の中で,たゆみない努力を続けている人々に思いを寄せ,被災地に1日も早く安らかな日々の戻ることを一同と共に願い,御霊(みたま)への追悼の言葉といたします。」
大島衆議院議長、山崎参議院議長、寺田最高裁判所長官からの追悼の辞に引き続き、岩手県、宮城県、福島県のご遺族代表からのことばがありました。
犠牲となられたご家族のことを思い、前向きに生きる決意をのべられたご遺族の皆様の言葉に胸がつまりました。
天皇皇后両陛下のご退席の後、献花が行われ、私も、犠牲者の皆様に心からの哀悼の誠をささげるとともに、復興に努力することをお誓いしました。
午後4時半からは、日米国会議員連盟の主催による「在米日系人指導者との意見交換会」に出席しました。
本日は、米日カウンシルのアイリーン・ヒラノ・イノウエ会長をはじめとする11名の皆様と、米大統領選やTPPの動向、慰安婦問題などについて、約1時間半にわたり、充実した意見交換をすることができました。
(下請中小企業・小規模事業者対策小委員会で、小委員長代理としてご挨拶を申し上げているところです。)
(飯田市が新たに制作された「飯田市絵巻物」(日本語と英語で飯田の様々な魅力を紹介したもの)を手に、牧野市長と記念撮影をしました。)
(東日本大震災五周年追悼式次第です。)
(在米日系人指導者の皆様との意見交換会の様子です。)
(会の最後に、参加者全員で記念撮影をしました。)