12月17日は、復興大臣政務官の亀岡偉民先生の呼びかけにより、有志で福島第一原子力発電所の視察等を行いました。
参加したのは、亀岡偉民先生、松本文明先生、桜田義孝先生、奥野信亮先生、中山泰秀先生、原田憲治先生、武藤容治先生、橋本岳先生、大西英男先生、私の10名です。
まず、朝8時すぎの新幹線で東京駅を出発し、福島駅に向かいました。
8時50分頃に福島駅に到着後、バスでJヴィレッジに向かい、10時半すぎに到着。ホール・ボディー・カウンター検査を受け、一時立入者用カードをもらい、11時すぎに約20km北の福島第一原発に向かいました。
福島第一原発では、まず入退域管理棟で通常のマスクや綿手袋をつけ、APD(累積被曝量測定機)を身につけてからバスで重要免震棟に移動、対策本部では、がんばっておられる皆様に対し、亀岡復興大臣政務官、奥野法務副大臣、桜田文部科学副大臣の3名から、感謝と激励の挨拶を申し上げました。
その後に防護服、半面マスク、ゴーグル等の装備をつけ、バスで構内の各施設を視察しました。
特に4号機ではバスを降りて原子炉建屋のオペレーションフロアに行き、使用済み核燃料を燃料プールからキャスクと呼ばれる容器に入れる作業を見ました。燃料棒の引き抜き作業は、水中にがれきの破片がある可能性を考慮して、1秒間に1センチのスピードで慎重に引き上げるため、1500本以上の燃料棒を運び出すには来年いっぱいかかるとのことでした。
午後1時半すぎに免震重要棟に戻り防護服を脱ぎ、午後2時過ぎには入域管理棟からJビレッジに向かいました。
午後3時過ぎからは、11月の選挙で当選された広野町の遠藤智町長と懇談をしました。広野町では、約5200人の町民の約2割が帰還されているそうです。除染が完了したことを踏まえ、除染の検証の仕組みを作ってほしいこと、商業施設や医療体制の整備について支援をお願いしたい、との要請を受けました。広野町は、災害公営住宅の建設をすすめ、周辺地域の避難者の受け皿となることも考えているとのお話しでした。
午後3時半すぎからは、楢葉町波倉地区復興組合の皆様と懇談をしました。波倉地区では、環境省による中間貯蔵施設のボーリング調査対象地となったことを積極的に受け止め、研究施設や医療施設などの誘致と合わせ、受け入れる方針を打ち出されています。原子力災害からの復興・再生のモデルとなるよう、応援をしていきたいと思います。
懇談を終え、ホール・ボディー・カウンターを受け、福島市の宿泊地に向かいました。
午後7時過ぎから開催された懇親会には、山際大志郎先生も合流されました。さらに東日本大震災の発生後に奪還の会で捜索活動を行った際に大変お世話になった国際平和機構の吉成昇理事長と南相馬市議会議員の中川庄一先生にもご参加頂き、今後の課題などについて充実した意見交換が出来ました。皆で力を合わせ、復興の推進に努力していこうと誓い合いました。
(福島駅に集合したメンバー全員で記念撮影をしました。)
(Jビレッジに到着後に、東京電力の皆様に、視察受け入れに対する御礼と激励のご挨拶を申し上げました。)
(遠藤広野町長(前列左から3人目)との懇談後に、町長を囲んで記念撮影をしました。)
(楢葉町波倉地区復興組合から4名の皆様がおいで下さり、これまでの経過などについてお話を頂きました。)